hyuntae's blog

AIにコーディングを任せ始めてから④ — AIを追いかけながら、AIとともに学ぶ

2026-07-01AI|閲覧数: 12
目次

AI適応記(全4部)

  1. さまざまなツールを試し、最後は自分で作るまで
  2. AIが「働く」システム — エンジニアリングと検証オーナーシップ
  3. AIサーバーが落ちたら自分も馬鹿になる — ローカルLLMとAI依存
  4. AIを追いかけながら、AIとともに — 学び方まで変わった ← 今読んでいる記事

ここまでシリーズを引っ張ってきた。道具を乗り換え(第1部)、働き方をシステムとして固め(第2部)、AI依存と向き合った(第3部)。最終回は、その変化が結局は仕事の外、学び方までどう変えていったのかについての話だ。ただ、その前に先送りにしていた告白をひとつ済ませておきたい。

パラダイムは数日単位で塗り替えられる

第1部で、道具選びに終着点はないと書いたが、それは道具だけの話ではない。働き方のパラダイムそのものが、長くても数日から数週間単位で変わっていく。その流れを大まかに書くとこうなる。

プロンプトエンジニアリング → コンテキストエンジニアリング → ハーネス(harness)エンジニアリング → ループエンジニアリング → ゴール(Goal)プロンプティング。

最初は「どう聞くか」がすべてだった。すぐに「何をコンテキストとして渡すか」に重心が移り、さらに「モデルの上にどんな実行構造を乗せるか」(第1部で大失敗したあのハーネス(harness))、その次は「どう自動で回すか」、そして「目標だけ投げれば勝手に到達させられないか」へと、目まぐるしく流されていった。次に何が来るのかは分からない。ただ一つだけはっきりしている — この変化に置いていかれず、できる限り食らいついていくこと自体が肝だ。きれいに片づく正解はない。ただ、置いていかれないよう歯を食いしばって追いかけながら、その中で自分の力を伸ばしていくしかない。

告白 — このブログも、この記事さえもAIが書いた

境界が消えていくという第2部の話は、実は自分自身が生きている現実そのものだ。バックエンド開発者である自分が、今ではフロントエンドのコードをAIに書かせて量産し、デザインまで一部作り出している。この境界が今後どこまで消えていくのか、自分でも気になっている。

その証拠が、今まさにあなたが見ているこれだ。このブログ自体、AIが主導して作った。自分は全体の方向性とオーケストレーションだけを担当した。さらに正直に言うと、今読んでいるこの記事さえも、AIがまとめて書いたものだ。自分はただレビューするだけだ。

しかしこの「レビュー」という言葉は、思っている以上にずっと能動的な作業だ。AIが書き上げた草稿を読みながら、抜けている部分を補い、事実がずれている箇所を拾い出す。記憶があいまいな部分は、AIに過去の作業ログを漁らせて根拠を探す — 第2部でObsidianに積み上げてきたあの記録が、ここで真価を発揮する。見つかった事実が自分の記憶とずれていれば記憶のほうを直し、AIがもっともらしく書き間違えた箇所は自分が正す。分からないことは推測で埋めない。確認できるまでは空欄にしておき、AIと議論して原理を理解してから初めて記事に書く。(第2部で触れた資料調査をサブエージェントに任せたのも、この分業の一部だ。)

だからこれは決して「任せれば終わり」という作業ではない。「ここはもっと膨らませて書け」「この根拠を探してこい」といった注文を一つひとつ出していくと、一本を仕上げるだけでもそれなりに時間がかかる。一発で完成する記事はない — 草稿を受け取って直し、読み返してまた直す。開発で言えば一発ビルドではなく数十回の反復(iteration)であり、文章で言えば終わりのない推敲だ。出来の悪い草稿を直していくその過程こそが、結局は文章を書くという行為の本質だ。それでも、そうやって一行ずつ拾いながら読んでいくうちに、自分が知らなかったディテールまで押さえられ、自分がやってきた作業と知識を改めて復習することにもなる。レビューに使う時間が、ただのコストだけではないということだ。AIが記事を全部書いてくれるというのは奇妙ではあるが、今のこの状況に自分はかなり満足している。

これだけレビューに少なくない時間がかかるのに、それでも書くことをやめない理由は、結局スピードにある。以前はブログ記事を一本書くのに丸一日、あるいは数日かかっていた。書く前に正しい情報を探し事実を調べる時間だけでもばかにならず、そのうち疲れて結局書きかけであきらめることもよくあった。今はその調査時間が劇的に減った。AIが資料を引っ張ってきて根拠を示してくれるので、記事を書くスピードそのものが速くなった — 特に技術的な記事であるほど。だから今後、自分が知っている知識をこのブログに全部注ぎ込んでみようと決めた。このシリーズがその第一歩だ。

本の読み方まで変わった

変化はコードと文章だけにとどまらなかった。ある時から本もAIと一緒に読み始めた。すると読み方そのものが変わった。まるで中学・高校時代の国語の授業のように、あらゆる文とあらゆる状況を分析しながら読むようになった。以前はただ目で流し読みしていた一文を、今では「これはなぜこう書いたのか」をAIとやり取りしながら噛みしめるように読む。

詩はもっと劇的だった。正直に言うと、自分は人がなぜ詩を読むのか、まったく理解できないタイプの人間だった。ところがAIと一緒に詩を読み、議論するうちに、ようやく詩を読む理由がわかり、詩を読み始めた。もちろんこれも国語の勉強のようにやる。一節をつかまえて自分なりに解釈したうえで、「この読み方で合っている?」とAIに尋ねる。AIが合っていると言ってくれても、そこで止まらずに「じゃあ自分の解釈の弱点を批判的に指摘して」と聞き返す。そうやってひとつの連をめぐって長々とやり取りしていると、詩一編に一時間があっという間に過ぎる。詩一編にそれほど長い時間没頭している自分を見て、自分でもかなり驚いた。この変化が自分をどこへ連れて行ったのかは、いつか趣味の記録で別途書いてみたいと思う。

AIは単に効率のための道具にとどまらず、自分が生涯閉ざしていた扉を一つ、ようやく開けてくれたことになる。これは生産性の指標では測れない変化だ。

だから、最初の恐れに戻ると

このシリーズは恐れから出発した。第1部の「自分の居場所がなくなるのでは」という代替への恐怖、そして第3部の「AIがなければ自分は馬鹿になるのでは」という依存への恐怖。どちらも今なお完全には消えていない。ただ、その恐れを通り抜けて自分がたどり着いた場所は、最初に出発した場所とは明らかに違う。

代替への恐怖は、AIのおかげで自分が扱える仕事量がむしろ爆増したことで生まれた別種の疲労へと姿を変え、依存への恐怖は検証・記録・原理理解というシステムによって少しずつ埋められつつある。その間に自分は、自分の手でコードを書くのをやめ、検証のオーナーシップを握り、スキルを自作し、モデルの底まで手を伸ばし、詩を読み始めた。

だから今、これまでの時間を一文に縮めるとこうなる。

AI時代に、AIを追いかけながら、AIとともに自分の力を伸ばそうとあがいている。

これが、これまでAIを扱いながら自分が得た気づきのすべてだ。正解はまだ分からない。パラダイムはまた数日でひっくり返るだろうし、自分はまた道具を乗り換え、もう一度大失敗するだろう。それでもかまわない。追いかけている間、自分は確かに成長しているのだから。その成長の証として、この記事を — AIとともに — 残しておく。


AI適応記シリーズはここで終わります。最初から読み返したい方は① 道具遍歴へ。

この記事が役に立ったら

コメント